聖夜に思うこと 「芝生」谷川俊太郎

私の好きな詩にで、谷川俊太郎さんの「芝生」という詩がある。

”そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せを語りさえしたのだ”

初めて読んだ時には、”実際に”自分自身が”芝生に立っていて””風を感じた”気がした。

宇宙人が読んだ詩のようだともいわれる詩だが、私は人間の真の強さを読んだ詩のように感じた。

ふと気が付くと、私を生きている自分がいる。

けして、幸せいっぱいとはいえない生活をしている。

でも、ふと美しいものをみて、なんて美しいんだろう、と感じる。

そんな、完璧に幸せといえない私の生活にも、幸せはあふれていて、

人間は細胞レベルで幸せを感じ取れる感覚があるのだ、と。

私自身、今、年末にかけ家でゆっくりできる時間が限られるほど、忙しくしている。

それも、自分があまり幸せじゃない方向で。

つらいな、正直そう思うこともある。

今日、クリスマスイブで家族ですこし豪華な晩御飯を食べていた。

そのなかで風邪をひいている家族の一人が、咳とともにおならが出た。

どっとみんなで笑ってしまった。

今つらい状況だけども、こんなささやかなくだらない笑いでも、どこか心の芝生に風が吹いて、幸せを語れる余裕ができる。

私のつらさなんて屁でもない状況のひとなんてたくさんいるだろうけど、

きっとこの芝生はみんなの心にもあって、ささいな幸せが風を吹かせてくれるんじゃないかって、そう思う聖夜だった。

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