最近知った言葉で、『ネガティブ・ケイパビリティ』というものがある。
「不確実性や疑念、未知なものを受け入れる能力」のことだそう。
簡単に言うと、「もやもやと感じる事柄を自分の心の中に留めておける力」といったものだ。
正直、私はこれが同年齢の方より未熟だと思うし、心にもやもやを留めるのは苦手な方だ。
もやもやしたことを、早くはっきりさせないと、心が不安定になってしまう。
これは、やりたいけれどまだやれない物事でもそうなのだけど、ゆらゆら安定しない物事に対して、とてつもない不安に襲われ、はっきりさせたい、早くその物事を行いたい、と思ってしまうのだ。
最近は、この能力が身につき始めてきたと思うのだが、まだまだだなあと感じることも多い。
もやもやを留める、ほっとく能力はどうしたら高めることが出来るだろうか、と考えてみたときに、重要なのは視野の広さだろうな、と思った。
なんでそういうことを思ったかというと、「簡単に解決できない問題が世の中には多い」ということを知ることが大事だと思ったから。
視野が狭いと、自分の見える範疇でしか物事を考えられないから、解決されない不安定さに、心が耐えられないんだろうと思う。
要するに、ネガティブ・ケイパビリティが低い人は子供っぽいのだ。
私は実際、なんか考え方が幼いと言われたことがあり、たぶんネガティブ・ケイパビリティが低かったことも所以しているだろうと思う。
だが、先ほども言ったように、少しずつこの能力は高まってきているように思う。
もやもやするものに対し、ぐっと心に留めていくことが出来るようになってきた。というか、ほっとけるようになってきたといっていい。
すると、逆に生きやすくなってきたのを感じてき始めた。
視野が広がることで「こんなこともある」と自己解決でき、もやもやしている問題と自分を切り離すことが出来てきたからなんだろうと思ったりする。
自己分析であるため、自分がそう思うにすぎないのだけど。
(まあ年齢を重ねたことによるものもあるかもしれない(笑))
はっきりさせなければ満足できない状態と、「なんかはっきりしないけどまあいいか」と思うのと、問題はどっちもはっきりしない状態は変わらない。だけど、精神体負担は、後者が格段に低いということを考えると、自分自身は精神的負担がかかる状態にあったのだな、ということを痛感する。
この能力がどうやったら養われるかは、色んなことを体験して考えて、色んなこものをみることだろうな。
まだまだネガティブ・ケイパビリティは同年齢の方と比べると、低いかもしれないが、こういうことを色々学びながら、また更に色んなことを体験しながら、高めていけたらと思う。
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