タイトルでこの記事をみてくれた人は、きっと、
「ああ…愚痴を吐いたら、正論で返されてへこんじゃったんだろう」
と思ったかもしれないな。
いや、逆で、
「愚痴に対して、話を聞いていたけど、つい正論を言ってしまった…」
という、私の反省の気持ちです。
自分はされて嫌だけど、逆の立場になったとき、ついやってしまう…
なんてことは誰しもあることだと思うけど、
じゃあその時どうしたらいいんだろう、と考えると、どうしていいかわからない。
相手を傷つけたい意志は全くないし、なんとか気持ちを和らげてあげたい。
けど、何と言ってあげるべきなんだろう…?
ついこの間、こういうことがあった。
友人が、育児に対しての話をしてきた。
「子供がいうことを聞かなくなった。言って聞かせて、その時はいいけど、手のひら返したように元に戻る。度が過ぎる。手に負えない。」
私はその友人の子供のことはよく知っている。友人宅に泊まることがよくあるし、子供の様子は少しわかる。
けど、常に子供を見ているわけではないから、友人の気持ちを100%汲んであげることはできない。
だから、「そうだよね」と聞いていた。
でも、聞き続けているうちに、
(度が過ぎるほどには見えないけどな…)とか、
(手に負えないほどってどれほど…?)など、
友人の言葉が受け止められなくなってきて、疑問を持ち始めた。
そして、延々と解決されない愚痴を聞くうちに、
「解決策」を頭で模索してしまったのだ。
で、つい言ってしまった。
「成長過程と思って受け止めるしかない」と。
特に友人は、指摘を批判と受け止めしまうタイプだから、反応は言わずもがなだ。
やってしまった。すぐにそう思った。
けど、
じゃあどうしたらよかったのか?
言い方が間違っていたのか?
そもそも言わなくてよかった?…
など、考えをめぐらせけど、未だにそれの最適解がわからない。
人によって、愚痴を聞いてもらって、相手にどうしてほしいのかはそれぞれだとは思う。
でもほとんどの人は、「ただ聞いてもらいたい」のだとは理解している。
愚痴を吐いている方も、”本当のところはどうする方がいいのか”なんてわかっている。
けれど、どうしても解消されない気持ちを、
”ただまっすぐに”受け止めてもらいたいだけなのだと思う。
私は友人の気持ちを、”ただまっすぐに”受け止めてあげることが出来なかった。
だから、友人を怒らせてしまった。
それは、
何かしてあげなきゃという、私自身の驕りがあったこと
本当はわかっているんだ、という友人への信頼がなかったこと
これらの表れだったのだと思う。
40年生きてきているが、本当にコミュニケーションは難しい。
私は、友人を、自分のミスで怒らせてしまった。
けれど、その友人のことはとても大切に思っているし、これからも関係は続けていきたい。
その友人だけじゃない、私に関係する人たちのことはやっぱり大切だ。
難しいからと言って、諦めたくはない。
少しずつ、こういう失敗をしていきながら、よりよい関係を作っていきたいな。
そう思う、今日この頃でした。
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