成長と変化。

雑談

毎年、年末に1年の振り返りをして、「成長できたか否か」を考えている。

昨年の年末はちょっと忙しく考える余裕がなかったので、今年に入ってから振り返りをした。

私は毎日のように書いている雑記帳(「考えるトイレ」)があるから、振り返りは容易だということは、今年に入って1回目の記事で書いている。

昨年の自分とは、全く違っているし、環境は良い方向に変化しているから、私は「成長した」からだ、と思って嬉しくなった。

でも、考えてみた。悩んでいるようなことは変わっているだろうか。

体調の自己管理ができず、仕事を休んだりして迷惑をかけてしまうところとか、ネットショッピングをついしてしまい、やりくりで頭を悩ませることがあるところとか。

小さいところでは、そりゃ年相応に成長できているかもしれない。

でも、これは何とかしたいと思っている重要なところは全然じゃないか。

「変化」しているからといって「成長」できている訳ではないということを、最近気づいた。

そりゃ生きていれば変化は必ずする。

でも成長できるか否かはその人の努力次第だ。

もう少し、頑張らねば、そういうことを考えた今日この頃だった。

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とはいえ、人は変化をするのだから、それに身を任せてていいんじゃないか、成長成長と肩に力を入れて頑張らなくてもいいんじゃないか、と思ったりもする。

こうならなければ、と思えば思うほど、「本来の自分の良さ」のようなものが消えてしまうような、そんな気がする。

他人になれるわけもないし、成長はいわば自己満でしかないような気もする。

かといって、成長するため日々努力している人を否定するわけではないし、逆に尊敬する。

でも、1年たっても変わらない自分は、本来持っている自分の特性なのかもしれないし、愛おしく思うくらい大切にしてもいいんじゃないかって思ったりする。

日々、自分を情けなく思ったり、軽蔑したり、肯定的に思えないことも多い。

「なんで私は人と同じことができないんだ」と自分で自分をしかりつけることもある。

そんなことしたって急に変わったりできるはずもないのに。

全てを肯定する、までは一気にはできないけれど、「変化しないところは私の良い部分」くらいの勢いで考えていけたら、と思う。

まあ、成長していきたいのか、変化を楽しんでいくのか、どっちがしたいんだい、と言われそうだが、こうしていきたい、と思うようなところは成長という名の努力をしていきたいし、出来なくても変化を楽しんで、自分を愛おしんで、楽しく過ごしていきたい、というところだろうか。

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