集めているわけではないのだが、現在腕時計を3つ持っている。
働き始めて、腕時計が何かと必要だったことと、単に腕時計を付けることが好きだったこともあって、腕時計は毎日つけている。(左手首に腕時計の日焼けの跡があるほど)
そんなには時計に詳しくはないのだが、これがいい!というこだわりがある方で、2つはカシオのBaby-G、もうひとつはORIENTの自動巻きの時計だ。
カシオの方はどちらも電波時計で、最初で設定すれば時間を合わせる必要はないし、生活防水なので手洗いが多い仕事柄、濡れても大丈夫だし、汚れたら時計自体を洗えるので重宝している。
ORIENTの自動巻き時計は、動かさない時間が一定時間あると止まってしまうが、常につけていると自動で巻いてくれるので、いつまでも動いてくれる。針が止まってしまったら、いちいち合わせなくてはいけないのは難点だが、シルエットが好きなこと、手間をかける分愛らしく感じる。
そんな私の腕時計なのだが、カシオの1つは、以前知り合いの子供たちに竜頭をいじくられ、しっかりした時間に合わなくなってしまっていた。ネットで調べて手を尽くすが、どうしても1時間ずれてしまうのだ。
使えないが、捨てるのは嫌で、どうにかできないものかと考えてしばらく経っていた。
もう1つ、最近ORIENTの時計のベルトの留め金部分が破損してしまった。常につけていたし、劣化してしまっていたのだろうと思う。
使えない腕時計が2つになってしまった。
町の時計屋さんもあることはあるのだが、なかなか行けないでいたところ、鹿児島市内のセンテラスというところに時計屋さんがあり、ダメ元で相談してみた。すると、快く応対してくれた。
ORIENTの方はベルトの交換と、留め金にORIENTの刻印があったから、それを新しいベルトの方に引き続きつけてくれるのことだった。
カシオの方は取り扱いがないためできないとのことだったが、近くの違う時計修理のお店を教えてくれた。近くだったから、行ってみて無事カシオの時計の方も修理に出すことができた。
やはり、1回手にしたものだから、使い続けられるうちは使い続けたい。
仕事上必要ということを除いて、なぜこんなにも腕時計に愛着が湧き、着け続けたいと思うのだろう。
アクセサリーも然りで、ずっと着け続けることで、着けていないと落ち着かなくなるようなことがあると思う。
腕時計で、ある思い出がある。
小学生くらいのまだ小さいころ、夏休みになると遠方のいとこが母方の実家に泊まりに来ていた。その時に、私たちも一緒にお泊りするというのが恒例だったのだが、そのいとこのお兄ちゃんが、腕時計を日中ももちろん、寝るときもずっと着けていた。
その当時の自分はまだ幼かったし、もちろん腕時計など持ってもいなかったのだが、そのお兄ちゃんが大事に腕時計を着け続けていることが、とても羨ましく感じていた。
一緒に腕時計と生きている感じ。
モノであるけども、離れないパートナーのようなそんな感じがしていた。
そんな印象があるから、腕時計に特別感を抱いているのだと、今更ながら思う。
モノに命が宿るというようなアミニズム的な感じ方ももちろん私にあるからなんだろうが、そのお兄ちゃんが腕時計を”パートナー”にしていたように、自分もそんな”パートナー”が欲しかったのだろう、なんて思ったりする。
修理から戻ってくるのが、楽しみで仕方ない、今日この頃でした。
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