ふと、今までの人生の過程が、子供のころには想像もしなかった人生を送っているということを思った。
子供のころに想像し得ることなぞ、たかが知れているし、当たり前っちゃあ当たり前なのかもしれないが、成人式を迎えるころも、今こういった人生を送っていることなど、考えもしてなかった。
もちろん今の年齢の時には、結婚して子供もいると思っていたし、仕事でもある程度キャリアを積んでいると、明るい展望を抱いていた。
友達の前では謙遜して、「私なんか一生結婚できないよ~」などと言っていたが、心のどこかでは、いつかはできると楽観的に考えている自分がいたものだ。
蓋を開けてみると、結婚もできていないし、もちろん子供もいない。仕事はキャリアを積むどころか、未だに看護師としてペーペーだ。
子供のころ、成人式の時の自分が知ったらどう思うだろう。
いわゆる「負け組」と思うのだろうか。
だが、私自身、色々なことはあったものの、この人生は人生で楽しく送れていると思っているし、よしとしている。
後悔はある。いっぱいある。
あの時こうしていれば…などということは山ほどある。
けど、そんなことを考えていても時は戻ることはないことを、だんだんわかるようになる。
わかるというのは、理解としてのわかるじゃない、身に染みてわかるということ。
時が戻らないのなら、今うだうだしているのはもったいないと、自然に思うようになるのだ。
ある程度の時期まで、『普通』に囚われていた。
『普通』になる努力をし、『普通』のことができない自分を責めた。
『普通』などあってないようなもの。今は冷静にそう思うが、それに囚われている時期は『普通』の枠からはみ出ている自分を隠したくて仕方なかった。
そう、子供のころ、成人式のころの自分は『普通』の人生を思い描いており、私はそれに沿えなかった。
そんな自分を思い切り恥じていたし、生きる意味はどこにあるのか、とさえ思っていた。
けどどうだろう。
今、毎日を過ごし生きているのが楽しいと思う自分がいる。
状況や環境は変わっていないし、『普通』にもなりえていない。
毎日楽しい出来事があるわけでもない。大変なこと、疲れること、悲しいこと、一通りある。
けど、生きている事実が楽しい。
今からの人生が、楽しいばかりではないのは百も承知。疲れてへとへと、物事をこなすことで精いっぱいという日々もあると思う。
でも、『普通』じゃなくても楽しく生きれるし、人生何が起こるかわからない。
また何十年後かの自分が、「この頃はこうなるとは思いもしなかったなあ」なんて言っているかもしれない。
予測できない方が、思い返すときに面白いかもしれない。
人生なにが起こるかわからない。
こうなるべき、とか、こうあるべきとか、あまり考えず、生きたいように力を抜いてこれからも頑張ってみようと思う。
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