あまり友達はいない方だと思うが、ずっと友達関係が続いている友達は何人かいるから、あまり友達がいなくて寂しいと思ったことはあまりない。
よく言われる、広く浅くか、狭く深くかとかいうのは、正直どっちでもいいと思っている方で、広く浅く付き合い長ければそうすればいいし、狭い範囲で深く関係を築きたいならそうすればいいと思っている。
人それぞれ、パーソナルスペースがあるし、人付き合いはするけど、あまり深入りしてほしくない人もいると思う。
学生の時はなんだか友達がいないことが悲しい・寂しいことのように言われがちだけど、大人になったら、そういう概念はあってないようなもので、価値観は人それぞれということがわかるから、こういうことも大人になってよかったと思うところである。
こういう話をするのは、最近県外の友達の家に泊りがけで遊びに行ったことで、友達とは、とふと考えたことから。
友達は結婚はしているが、子供は大きくなって全然手がかからなくなっているのと、高校生の子供もいるが、県外で寮生活をしているから、ほとんど夫婦二人暮らしのような感じ。
私はその友達が結婚する前から夫氏を知っていて、私が病気を発症して間もないときは、夫氏の住まいに一緒に住んでいた友達を頼って療養に来たりもしていた。
今考えると、迷惑な話だが、いやな顔一つせず向かい入れてくれた友達、夫氏には感謝している。
友達とは中学校からの関係で、背格好が似ていることからも、双子のような扱いを受けることもあった。それがなんだかうれしかった。
その友達が県外に進学したのちも、コンスタントに私が彼女の元へ遊びに行ったりして、関係はずっと続いていた。
頻回に行くわけでなく、たまに連絡を取って、
私「そっち遊びに行きたいな~」友達「うん、くれば?いつでもオッケーよ」
という感じで、日程を決めてすぐいってしまう。今でもそう。
こういう時はフットワークが軽いな自分と思うけれど、安心感を味わうためにいくとすれば、フットワークが軽くなるのもわかってはもらえないだろうか。
前述したことに戻るが、こういった友達がいる自分は、狭く深く関係を築くほうが、性に合っているような気がするなあとは思った。だが、こういう深い友達関係でも、深入りしないがあることは確かにあって、なんでも分かり合える、というようなことを思っていたりもしない。
けど、彼女が何らかのピンチになったときは、すぐさま手を伸ばせる自信がある。
そういう、狭く深くというよりつかず離れずといった関係性があるのは、とても心強いと思ったりする。
彼女に会うことを、上で「安心感を味わうため」と書いたが、特別彼女に相談に乗ってもらったり、悩みを聞いてもらったりするわけではなく、一緒の空間にいて、普段の話をするだけ。
だけれど、それが心地よくて安心感がある。
私は彼女を頼っているのかもしれない。正直、そう思わないでもない。けれど、いつでも嫌な顔一つせず向かい入れてくれることが、とてもありがたい。
普段は、自分を生きるのは自分だけなんだからと、気を張って生きているような気がするが、こういう友達(もちろんその前に家族の存在もある)がいることが、結構生きやすくしているような思いでいる。
持つべきものは…、などと一概に言えないかもしれないが、私にとって友達はその一つに必ず入るものだろうと思う。
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