一気に寒くなった今日この頃、ヤマザキマリさんのエッセイを読んで。

本の感想

9月まで、「ほんとに寒くなってくれるのか」と思うくらい暑かったのだけれど、10月に入ると、雨が降る度、寒くなっていっている。

秋は何処…と思うが、いつまでも暑いよりはいい。

夏は好きだけれど暑いのが苦手な私は、寒くなってきてくれて少しうれしい。

夏服でのオシャレもだんだんと飽きてきたし、今度は冬服で楽しみたい、そんな感じで過ごしている。

どんどん年を重ねているわけだけれど、私自身若さをあまり重視していないところがある。

自分自身、年を重ねることで、生きる楽しみを増やしてきたという自負があるから、若さこそすべてとは思っていないのだ。

若さが悪いということではなく、年を重ねることは怖いこと、忌むべきことじゃないのではと思うのだ。

最近、漫画家(最近では肖像画家もしている)のヤマザキマリさんの「CARPE DIEM 今この瞬間を生きて」というエッセイを読んだ。

”CARPE DIEM(カルぺ ディエム)”はラテン語でまさに”今この瞬間を生きて”という意味の格言だそう。

この本で書かれているのは、ヤマザキマリさんの、自分の家族や母親とのかかわりなどから得た、老いや死に対する考え方などだ。

共感すること、考えさせられることが多く、2時間ほどで一気に読んでしまった。

文章がわかりやすくて、とても読みやすかったのも一因だと思う。

本の中で一貫して話されているのは、「若さだけがすべてでない、老いも悪くないよ」ということ。

その老いというのも、”美しい、健康的な老い”だけではなく、”疎まれる老い”も悪くない、と書かれている。

私も同意だなと読みながら思った。

私は、仕事柄、認知症の高齢者と関わることが多いから、偏見は少ない方だと思うが、あまり関わらない人にしてみたら、認知症は”疎まれる老い”の代表格ではないだろうか。(偏見かもしれないが…)

本では、ヤマザキマリさんの過ごされているイタリアでの高齢者(認知症のある高齢者も含む)が、普通の生活に溶け込んでいる様子が書かれていて、(日本とイタリアは社会の在り方が違うけど…)と思いながらも、イタリアでは多種多様な年齢の人々の生活が共存しているという事実が、とても理想的に思えた。

誰しも年を重ねる。けど、みんなそれに、ある意味恐怖感を抱いている。

こうはなりたくない、あんなふうに醜くなりたくない、と。

でも、生きていればみんな通る道であり、こうなりたいからといってそうなれるわけではない。

なら、自分が老いた時に少しでも生き生きと生きれる社会を理想として、今から作っていってもいいんじゃないかと思う。

正直、仕事上関わる認知症の高齢者の方に困ることをされることは楽しいことではない。悲しかったり、イラついたり、私も人間だし、仕事の度ある。

けど、それ以上に、その方々から学ぶことも多いのだ。

本のなかでも触れられていたのだけど、社会で困る高齢者を「老害」と揶揄することがあるが、もうしょうがないと受け止めるしかない。

障害でもそうだけれど、社会になじめない(なじめなくなっている)、適応しにくい(できなくなっている)人々を排除していたら、きっと生きにくい社会になると思う。

若い人たちは「じゃあ私たちは我慢しろと?」と思うかもしれないが、そういうことでなく、若い人は若いなりの考え方を持ち、その時だけにある楽しみを十分に謳歌していいと思う。

その時に、違う年齢の人々との対立もきっとある。それはそれでいいと思う。社会は色んな考え方があっていいと思うからだ。

けど、若いことを自負して老いに嫌悪感を抱くより、少しでも老いに対して寛容になることで、人生そんな悪くないんだな、と思ってもらいたい、と思うのだ。

今この瞬間を生きて。

そういわれているように、若いとか高齢者だからとかもうそんなの関係なく、今その瞬間を生きて、「生きていることだけで素晴らしい」と感じることができたらいいな、と本を読んで思った。

寒くなって、直に年末も来る。

年を重ねていやな気分になるより、来年はもっといい年になるぞ!と思いながら過ごしていけたらいいな。

そんなことを考えた、寒くなりつつある今日この頃。

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