よく、「自分の機嫌は自分で取る」ということが言われたりする。
怒りを自分で解消できずに、周りに察してもらって機嫌取りをしてもらう、というパターンの人に対していうのだろう。
友人にも家族にもそういう人はいたし、自分で機嫌を取るというのは、結構高度な技術なのではないかと思う。
私自身はあまり怒りが湧かないタイプで、たまに怒りが湧いたとしても、あまり外には出せない。自分の中でシュ~っと自然にしぼんでいく。
けれど、そうでなく、発散しないと解消できない人も多いのだろうなと思う。
そういう怒りにも多種多様性があるのだから、一概に「自分の機嫌は自分で取る」なんてことは万人に当てはまる解決法じゃないのではと思う。(理想ではあると思うが)
かといって、最近思うのが、人生生きている中で大事なのは「人生、自分の機嫌取り」なのでは、ということだ。
私がたまにハッと思い立つように思い出すのは、自分は自分しか生きていないんだよな、ということ。
自分を生きていくれる人は、自分自身しかいない。
けれど、誰かに幸せにしてもらいたいという人は結構いる気がする。
その人は、自分の人生に責任を持ってくれるわけではないし、その人がもし死んでしまったら、他に誰が幸せにしてくれるだろうか、と考えると、自分自身で責任もって、自分を幸せにした方がよいのではないか、と当たり前ながらに思う。
「そんな自由にできないよ」「余裕のある人の考え」というような言い分が聞こえてきそうだが、
幸せにする=金銭的、時間的余裕を持つ、ということではない。
それらもとても大切な要素かもしれないが、どんな小さなことでも幸せに感じることができたら、それはそれでよくないか、と思ったりする。
「今日晴れてる、気持ちいい、ラッキー」でもいいし、道路通ってて「今日信号につかまらなかった、ラッキー」でもいい。
そうやって、自分の機嫌を取っていく。
それこそ、時間に忙殺されていてそんな余裕がない、という人も、少し機嫌を取ってみる時間くらいはあるはずだ。
いや、ここまで書いておいてなんだが、これが正しいからみんな実践してくれ!ということではない。
だけれど、自分を生きるのは自分自身だけなのに、誰かがどうにかしてくれる、というのは、なんだかなあと思うのだ。
何度も言うけれど、自分は自分しか生きてない。
他人に成り代わることもできないし、他人が自分を責任もって生きてくれることもない。
自分しか自分を生きてやれないなら、よりよく生きてやれるのも自分しかいないんだ、と思うと、大切にしていかないといけないな、と思う。
といっても難しいよな。
いろんな事情で、自分のことばかり考えていくわけにいかない人はいっぱいいるだろうしな。
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