自己満足でいい。

外出する用事もなく、誰に見せるわけでもないのに、家の中で化粧して好きな服を着る。

誰に見せるわけでもないけど、ディティールまでこだわって絵を描く。

誰に読ませるわけでもないけど、毎日一篇の詩を書く。

上記のことは、思いついたことで、実際自分がしているわけではないけれど、人それぞれ自己満足でしていることってあると思う。

私のこのブログも、いわば自己満足でしかないかもしれない。

自己満足って、あんまりいいように使われないイメージだけれど、自己満足って大事だと思う。

確かに、自己満足でしていることを公表して、恥ずかしい思いをするかもしれないけれど、誰かからは評価を得られるかもしれない。

評価を得られた方が嬉しいはずだ。

自己満足という言葉がいいように使われないのは、他人軸になっていることが大きいからだと思っている。

他人に評価されてこそ、その事柄がよいことと証明される、という他人軸。

他人軸が悪いわけではない。

評価されて、その事柄がいいように展開することもあるから。

でも、自分軸で、よいと思っているその事柄は評価されないからと言って果たして悪いことなのか。

(よい悪いの二次元で書くのはどうかと思うが、わかりやすくそうするようにする)

一番上に書いた、家の中で化粧して好きな服を着る、は実は実際していることなのだが、ある人に言わせれば、「誰に見せるわけでもないんだから、化粧する時間がもったいないし、服の洗濯ものも増える」という。

確かに、効率からしていえば、その人の言っていることは合理的だ。

でも、私は「一日過ごすのに、化粧をしていることや好きな服を着ているだけで気分が上がり、一日よりよく過ごせる」と思っていたらどうだろう。

また、「その化粧や着ている服は似合っていないからやめた方がいい」と言われる。

でも、人がどう思うかより、「自分が好きだからその化粧をしてその服を着ている」ことで気分よく過ごせると思っている。

他人の目線で言えば、合理的でなく似合ってもいないことをしているのは変だなんだろう。

でも、自分はそれらをすることによって、気分が変わってくる。

自己満足と言われようが、自分がよいと思うことをしていた方が、よくは感じないだろうか。

他人に評価されることだけがすべてではない、といったら、ちょっと嘘になる。

上述したみたいに、他人に評価されることは自己評価も高めてくれるから。

でも、そんなこと関係なく人生の遊びとして、自己満足でする事柄があってもいいと思う。

少し自分をわくわくさせ気分をあげてくれるような遊び、評価されなくても、自分だけがよいと思っているようなこと、そんなことが生きていくのに余裕を持たせてくれるのではないかって、思ったりする。

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