自分の人生は自分のもの。

挑戦したいやら冒険したいやら、大きなことを記事で書いてはみたものの、行動できなければ意味がないことはよくわかっている。

有言実行して初めて、その言葉を信用してもらえるのだから。

私は頭で考えて言葉には出しても、行動に伴わない言葉だけの人間になってはいないか。

以前記事にした通り、私は石橋をたたきまくって初めて行動の準備をするタイプだ。

その石橋をたたきまくる原因の中に、家族のことも関係している。家族自体が悪いとしているわけでなく、私が家族に遠慮している部分がある、といった方が正しいだろう。

話は反れてしまうが、私はこれまで家族に多大な迷惑をかけてきたと思っている。

迷惑をかけない人間などいない、ということを加味しても、私は迷惑をかけて生きてきた方で、だから、家族になるべく迷惑をかけないようにと考えてしまうところがある。

何かに挑戦しよう、そう考えても、「家族はどう思うだろうか、迷惑にはならないだろうか」そう考えてしまうのだ。

やってみないことにはわからないし、自分のやりたいことならやればいい、そうも考えることはできるが、どうしても「誰かの迷惑」を考えて、行動にうつせない自分がいる。

でも、前述したとおり、迷惑をかけない人間などいないのだから、そう考えること自体ナンセンスだとも考える自分もいたりはする。

どうしたものだろうか。

みんなはそういう時、どう心の中で折り合いをつけているだろうか。

色々考えて、私はこう思うようにした。

迷惑をかけていい、自分の人生を生きるのは自分しかいないのだし、自分を幸せにできるのは自分しかいない。なら、多少他人に迷惑をかけるかもしれないが、自分の思うようにしたらいい、と。

迷惑をかけていい、というのは、迷惑をかけて当然、ということでなく、多少の迷惑は誰しもかけているのだから、それにおびえていても仕方ないと考えることということ。

どんなことがその人にとって迷惑なのかもわからないし、結構許容してくれるかもしれない。捉え方はその人次第なのだから。

あと、誰かの迷惑を考えることで、「挑戦しない口実」を作ってしまっていることもあると思う。

挑戦することは勇気がいる。その勇気が出せない理由に、「誰かの迷惑」を考えてしまっていることもあるんじゃないか。

私は家族に対して遠慮しているようにみせて、何もできないことを家族のせいにしてしまっているんだ。

それはとても卑怯なことじゃないか。

きっと、のちのちそれを振り返るときに「家族がこういっただろうしな」と、あたかも家族が悪いような言い方をしてしまうのだろう。

そういったことの方が、家族にとっては大きな迷惑だ。

まず、自分はこうだああだと考える前に、まず行動をしてみよう。

自分の人生がより良いものになるためには「他人のせいにはしない」ようにしよう。

何度も言うが、自分の人生は自分のものなのだから。

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