コミュニケーションで失敗して、大きなトラブルになった経験はあまりないと思っているのだが、自分にはコミュニケーションが難しいと感じることがある。
子供のころはそうでもなかったが、大人になってから強く感じる。
これは、子供はあまり、色んな子と関わることはあれど幅広い年代と付き合うということがあまりなく、大人はいろんな年代の様々な人と関わるからだと思う。
あと、大人になれば、社交辞令とか建前とか、そういうものもあるからだろう。
人と話すことは楽しいし好きなのだが、この人はこういう話題が好きで、こういう言い回しは好きでない、あの人はこの人が嫌いだから、その人の話題はあえてしないように、など考えることが多く疲れてしまう。
自分自身もそういう配慮をされているのかもしれないし、自分ばかり我慢してるなんて思ってはいないけど、みんなコミュニケーションの時、どんなことを注意してるんだろう、とふと考える。
私のコミュニケーションの傾向として、
・好きなことはとめどなく話してしまう。
・話を聞いているとき、たまに人の話を先読みして相槌をしてしまう。
・自分で切り出しておいて、何を話しているかわからなくなると気がある。
・聞き役になりたいが、つい自分の話に変換して話してしまう。
こんなところだ。
自身で自覚できるところでしかないから、他にもたくさんコミュニケーション時の癖があるのかもしれないと思う。
傾向を考えて、自分がコミュニケーションで気を付けていることは、
・好きだという事実は話すが、コアな部分は相手の反応を確認して、聞いてもらえそうだったら話す。
・先読みしてしまうのは、ついやってしまうので、なるべくその人の言葉を取らないように気を付ける。
・話をしてわからなくなったときは、正直に「わからなくなった、思い出したら話す」と話す。あと、話したいことは、頭の中で整理してから話す。
・聞き役に回ったときは、その人の話の結末まで話し出さない。
あまりにも逸脱しているようなところはないにしろ、やはり、話している時には、自分も相手も心地よくコミュニケーションを図れるような状態でいたい。
気を付けているといっても、完璧にはできていないし、もうコミュニケーションの鍛錬しかないな、と思っている。
こういうコミュニケーション術というのは、どうやったら鍛錬できるだろうか。
やはり、コミュニケーションを重ねるほかないだろうか。
私が思うのは、「コミュニケーションが上手だと思う人の真似をする」ことではないか。
周りにいると思う、この人と話すと心地よいなと思う人が。そういう人の話し方を、自分なりに分析して真似てみること。
ある人は、さりげなく私のしたことをほめてくれる人。さりげないというところがポイント。ほめられて嫌な感情になる人はそうそういない。
ある人は、会話のやり取りに適度な間がある人。話に夢中になると、食い気味に返答してしまいそうになるが、きちんと相手の話を聞いてから、間をもって返答をする。これは、相手への配慮とともに、相手の話にきちんと向き合っている印象を与える。
まだまだあるが、こんな風に「どうして上手なのか」ということを考え、自分のコミュニケーションに取り入れるのはどうか。
癖だったり、思考が違えば、コミュニケーションの良しあしはあるのだろうが、出来るのなら、相手に不快な思いはさせたくない。
とはいえ、まだまだ難しいよな、と思う。
コミュ障という言葉があるし、コミュニケーションが上手いことがすべてとは言わない。それもそれで、その人の持ち味だと思うから。
けれど、そのコミュ障の人の大半は、コミュニケーションがうまくなれれば…と思う人は少なくないのではないかと思う。
大きなお世話だが、私もコミュニケーション苦手勢なので、色んな人のコミュニケーションを参考にしながら、みんながより良い関係性を持てるようなコミュニケーションができるようになれればな、と思う。
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