あきらめたくない道。

親子関係などは本当に様々で、仲のいい友達の中でも、片親の子や祖父母に育ててもらっている子もいたから、あんまり偏見は少ない方かもとは思う。

でも、偏見はいろんなところにあるものだろうと思うから、自分が偏見が全くないとは言わない。

親子関係といえば、私には父親のことで引っかかることがある。

私の父は、私が20歳の時に亡くなった。

父親っこだったし、自分が看護師の道を歩むきっかけになったのも父の影響だ。

亡くなったときは、亡くなった後のことは想像ができなかったし、つらいとかそういうことでなく、なんだか空虚な状態だった。

父が亡くなる原因となったのは肺がんの罹患。発見時はもう末期だった。

看護の勉強をしている最中だったし、看護目線で現状を把握しようということに一生懸命だったように思う。

そんな矢先、父に「(看護の勉強をし始めてから)冷たくなったなあ」と言われた。

ショックだった。

こんなに父のことを一生懸命考えているのに。

今思えば、病気のことを把握しようということに一生懸命になり、父の気持ち・刻々と変化する状態をわかってあげることができていなかった。

でも、「冷たくなったなあ」の真意を聞いていないから、これも父にとってどういう娘でいれば良かったのかはわからない。

私のせいで、寂しい思いをしたのではないか、苦しい思いをしたのではないか、末期で後先ないのをわかっていながら、何を考え、痛みと共にどう夜を過ごしていたのだろうか。

私のせいで、ということは飛躍しているかもしれないが、自分の意志を汲み看護師になってくれようとしている娘のことを冷たく感じるなんてことは、きっと期待している部分が大きかったからだろうと考えると、期待に応えることができていなかったのは、大きな落胆だろうと思う。

あの言葉をいわれてから、どうすればいいのかということを考えて過ごし、最終的には父の最期を看取ることができたが、亡くなって10数年たった今でも、それを考えてしまう。

どうすればよかった?

私はどういう娘でいればよかった?

そんなことを自問自答しても、答えなどはでない。

答えを知っている人は、もうこの世にいないのだから。

でも、今私の中でこうしようと思うことが一つだけある。

父が勧めてくれた看護師の道だけはあきらめないこと。

看護の道はもうあきらめなければいけないかも、とメンタルの病気の悪化で考えたこともあるが、今はまた看護の道に戻ってきている。

看護師に向かないよ、ということも言われたこともあった。

でも、あきらめたくない。

父は引っかかりをくれること、課題を残すことで、看護師の道をあきらめない気持ちをくれた。

つらいこともたくさんあるし、生きる道は看護師の道だけじゃないとも思う。

けど、これは父がくれた道と思って頑張ろうと思う。

父の命日に。

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