看護学生だった頃。
病院実習で、あるガン末期の高齢女性患者さんを受け持ったことがある。
その患者さんの家族の稼業は農家で、ちょうど繁忙期のころで、なかなかお見舞いに来れないようだった。
患者さんは「寂しい、苦しい」とナースコールをよく鳴らすので、看護師さんも困っているようだった。
そんな時、ちょうど受け持ったのが私だった。
病院実習は何度も経験しているが、看護師ともいえない学生の私ができることは限られていた。
そばにいて、「大丈夫ですよ、そばにいますよ」と声をかけても、ナースコールを鳴らすことも数多くあった。
毎日不甲斐なさを感じながら病棟に行っていた実習の最終日、病棟に上がったら、もう患者さんの姿はなかった。
その日の明朝亡くなったとのことだった。
最終日だったため、新たな受け持ち患者さんを決めることもなく、実習は終わった。
実習が終わり、学校へ帰ってから、そして、今もなお、その患者さんのために何ができただろうとふと考えていた。
人間の生死に関わる職業だからといって、何かができるなどおこがましいのもよくわかっている。
だが、それから更に、私の父がガンで亡くなったこと、自分自身メンタルの病気で苦しんだこと、色んなことを経験して、あの時の受け持ち患者さんの「寂しい、苦しい」は誰かに受け止めてもらいたかった叫びなのではないか、と感じて仕方なかった。
ガン患者だけでなく、苦しい病気は心身ともにあるし、病気はなくとも、苦しい場面は生きていればたくさんある。
その苦しみ緩和するため、ハード面から変えていく取り組みももちろん必要だ。
でも自分にできることなど、微々たるものでしかない。いや、爪先ほどもないだろう。
一時は緩和ケアの病院に就職することも考えたし、予防的な観点から保健師になるべく学校にも通ったことがある。メンタルの病気が悪化し、退学せざるを得なくなったが。
色々なことを考え、今はメンタルが安定し、自分が無事に社会に復帰できることが先決と思い、今まで頑張ってきている。
(「他人のことより自分を何とかしたら?」と言われそうだし、自分もそう思うから)
今まだ短い時間ではあるが、働くこともできている。
副業するほどのスキルは持ち合わせていないのだが、ふと、仕事でなく、ただじっくり話を聞く役割になってみてはどうか、と思った。
調べてみると「傾聴ボランティア」というものがあると出てきた。
そういえば、遠藤周作の「深い河」で、患者の話を聞く病院のボランティアのような登場人物が出てくるのも思い出した。
でも、鹿児島では、鹿児島市内にはそういうことを行っているところもあるようだが、田舎にはあまり普及していないようだった。
「やりたい」一瞬そう突発的に考えたが、すぐに「私なんかができるわけない」そう自分を諫めた。
「自分のことで精いっぱいじゃないか」
「話を聞くだけで自己満足になるんじゃないか」
いろんなことを考えた。
でも、何もせずにいたら、私からいつまでたってもあの「叫び」は消えることはないのだと思うと、きっといつまでも悔やむだろうなと考えた。(いや、もう消えないのかもしれないが…)
地元にそういうものがないなら、私が道を作ろう。
時間がかかっても、挑んでみよう。
そのためはそのことについて知ろう、学ぼう。わからないことばかりだ。
そう思うようにした。
何ができるとできるかじゃなく、それのために自分が何をしたか。
大きく出てしまったが、今こういうことを考えて、新たなことに挑もうと思っている。
コメント