人を羨む。

Instagramを見ていて、参考にすることあれど、羨んだりなどはしたことがないように思っていた。

あまり多くの人をフォローしていないし、フォローしているのは教養系か、メイクや買い物の参考になるようなアカウントばかり。

もっと年齢が若かったら、かわいい子や美人な子、ファッションセンスが自分の好みな子などのアカウントを参考にしていたのかもしれないが、今はそういうことはほとんどない。

だから、逆にそういうものから人を羨んだりなどしないと思い込んでいた。

でも、今日ふとInstagramを見ていて、「いいなあ」と思う自分がいることに気が付いた。

それは私がメイクの参考にしているアカウント。そのアカウントの方は肌もきれいで、メイクも自分の特徴をよく理解してしている。きりっとした目で、シャープで美人だ。

確かにいいなあと思える容姿なのだが、私が思ったのはそこじゃなかった。

それは、発信することの主軸がはっきりしていることだった。

(このブログを読んでくれた方はわかるだろうが、私は発信したいことがブレブレであり、なにが伝えたいのかがわからないから)

Instagramのそのアカウントの方は、自分が何を発信したいことなのかがよくわかる。発信してる媒体が、それに適しているということもあるだろうが、うまくそれを利用できている。

その方がどれだけ試行錯誤してきたのかはわからないが、きっとたくさん失敗してきただろうと思う。

羨んだりしたって、相手もいっぱい失敗して今できているのかもしれないし、その人の悩みを知らずに、他人は勝手に羨む。

そして、その人の悩みは、私がもうすでに手にしているものかもしれない。そう、その人にとっては私が羨む対象かもしれないのだ。

人は様々持っているものはあって、「何ももってないから羨ましい」というのは、言うのはその人の勝手だけれど、はたから見たら滑稽だ。「いやいや、もってるじゃん」って。

私自身、ブログの主軸はブレているけれど、発信できる媒体を持っている。そう考えれば、私はその自分が羨んだInstagramのアカウントのその方と、同じ土場にはいるのだ。でも問題はそれをどう生かすかであるとは思うが。

羨むことはある意味簡単だ。

いいなあ、そう思って思考停止していても問題ないのだから。

でも、

なぜ羨んだんだろう。

どういうところが羨ましいんだろう。

自分とどう違うから羨んだんだろう。

その人となり替わることができないことを自覚したうえで、じゃあその羨ましいことに近づくにはどういたらいいんだろう。

と考えてみて、羨んだ自分のことをより知っていくこと。そして、羨んだ対象自体にもちゃんと悩みや困難に思っていることはあることを知ることが大切である気がしている。

自分のことを知るのって簡単なようで、意外に難しい。

他人のことを知ることの方が易しいのではと思ってしまうほどだ。

でも、難しいことだけど、とっても大切なこと。

まだまま困難な道のりだけど、人を羨んで、自己分析、自己研鑽を積んで、きっとあれがあったからこれができるようになった、と言えるよう努めていこう。

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