誰かを守りたいのなら自分が強くあらねば。

私は自分のメンタルは強くないくせに、誰かが困っていたりすると、すぐ手を貸したくなり、その人の負った荷を一緒に(あるいは肩代わりして)負おうとする傾向がある。

よく言えば、良心的。

でもどうだろう、自分はメンタルを崩してまですることだろうか。自分は一緒に荷を負った満足感があるかもしれないが、荷を負わせた相手は、へとへとになってしまっている私を見て、どう思うだろうか。

きっと、もうこの人には頼まないでおこう、その人の優しさから、そう思うのではないか。

あまりそういうことを考えずに、人に困ったときは言ってね、とも今まで数多く言ってきた。だが、あまり頼まれることはない。

そりゃそうだ、私じゃ頼りないもの。

助けたい、守りたい、頼ってほしい、そう思っても、私はとても非力で頼りない。今更ながら、そんな自分自身が不甲斐なくて仕方なくなった。

そう思う気持ちだけでは十分、という美しさはいらない。

自分に関わる大切な人たちがそういう状況になったとき、その状況から脱する一助に自分がなりたい。傲慢だろうが、大切だと思う人がいる人はきっと思っていると思う。

そうなるには、やはり賢く強くならねばいけない。

メンタルだけの強さじゃない、身体的、経済的、社会的にも。

今まで、上っ面で手を貸そうとしていたんだな。きっと、周りはそれを感じていたんだろうな。

ほんと、社会経験が少なく年を重ねると、今更かと思うことを感じるようになるんだなと痛感する。

ネガティブだけど、自戒的にこの記事を載せときます。

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