頑張ろう、そう自然に思うこと。

雑談

このブログでは、旅行のことを多く載せるので、遊んでばっかりのように思われかもしれないが、これでも、毎日仕事をしている。

出勤しない職務形態になって、自由な時間に仕事をできるようになったのはいいが、逆に言えば、24時間寝る時間以外は、「仕事中」ということだ。

別にそれに対して文句を言いたいわけではない。

自分で選んだのだから、後悔も更々ない。

先月から、この職務形態になってから、自分なりに頑張ってきているし、なんなら、看護師で働いていた時より、充実している。

毎日何かしら、時間などを工夫しながら仕事をするのは、なんとなく自分の性に合っている気もする。

でも、最近、体がしんどいなと感じる日が出てきた。

仕事が嫌なわけではないから、しんどいながら、寝込むこともなくやれている。

けれど、先日いつにもまして体がしんどく、仕事をしようと来たコメダでも、仕事がなかなかはかどらなかった。

今考えたら、精神的な疲労感が大きかったと思う。

好きな音楽を聴きながら、なんとなく涙が出てくるような状態。

そんなときでも私は自分に「負けるな、頑張れ」と言ってしまうタイプなのだが、
そんな時ふと、お墓参りに行きたくなった。

私の父は、私が20歳の時に亡くなっていて、母は仏壇に手を合わせるのを欠かしたことはない。

お墓参りも、定期的に行くから、私も実家で暮らしていた時に時間があればついていっていた。

でも、一人暮らしになり、なかなかそういう機会も少なくなっていた。

実家の仏壇にも、毎回手を合わせるわけでもなかったし、今日はとりあえず実家に戻って、仏壇に手を合わせよう、なんとなくそう思った。

母は仕事に行っていて、実家には誰もいなかった。

ゆっくり仏壇の前に正座をし、手を合わせる。

仏壇には笑顔の父の写真が飾ってある。

自然と涙があふれてきた。

なんでかはよくわからない。

何も言われるわけではない、たぶん自分の気持ち次第なんだろうと思う。

けど、肩の力がすーっと抜けていくようなそんな感覚がした。

そんななか母が仕事から帰ってきた。

理由はなんとなくごまかして、「お墓参りにいきたいななんて思って」なんて母に言うと、
「行かなくちゃいけないとは思っていたんだよね、行こうか」って母は言う。

母は私がその日とてつもなくしんどいことは知らないし、聞きもしない。

けど、自分の母だ、なんとなく察したんだろう。

母の車で、途中仏花を購入し、お墓へ向かう。

実家のお墓は、海の見える山の中腹にある。お墓から海を臨む景観だ。

お墓参りはもう慣れているから、何をするかはわかっている。

買ってきた仏花の長さを母が整え、私が洗ってきた花差しに差す。

対で差した花の位置や高さを微調整するが、母も私も不器用だから、いつもいまいちな差し具合。

「まあいいか」と母と苦笑いしながら、お線香に火をつけ、手を合わせる。

「私は幸せだ」

なんとなくそう思った。

私には、こうやっていくつもの拠り所がある。

しんどさに優しくされるわけでもない、自分も求めていないし、それはある意味野暮でしかない。

けど、何かを察し、寄り添ってくれるこうしたものに、私はいつも支えられているんだと思うと、本当の意味での「頑張ろう」が自分に言える気がした。

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