見た夢によって、願望を知る。

雑談

ついこの間、ウォータースライダーに滑りたくて順番待ちをしているのに、結局滑ることが出来なかったという夢を見た。

起きたときの、「なんなんだ」感、半端ない。

最近にウォータースライダーのことなんて考えもしなかったし、それらしいことを観たり聞いたりもしていなかった。

何故に、ウォータースライダー?

まあいいや、と思いつつ、何の気なしに過ごしていたんだけど、ウォータースライダーで滑れなかったという、悔しさとか悲しさの余韻が、一日中ずっと残っていた。

夢で言えば、以前、夢の中で、実際中学生のころに嫉妬し続けていたある女の子に対し、一生懸命に「謝れ!」と泣きながら叫んでいるという夢を見たことがある。

(実際で、その子に対してそんなことを言ったことはない)

起きたとき、自分に対する情けなさとか、年月は経ってもまだその子より”負けている”と感じている自分を実感する悲しさとかを感じて、なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。

夢は、頭の中を整理するときに見るものとか、潜在意識を表すものとか、色々言われるけど、専門家じゃないし、わからない。

けど、少なくとも自分の脳が作り出しているものなのは確かだから、私自身の意識とか、見たもの感じたものとは関連しているのは確か。

ウォータースライダーが表しているものとか、何を自分が感じていて、見せた夢なのかはわからないけれど、きっと何か『自分が何か欲求してる願望』なのだろうな、と考えたりする。

夢の話からは少し脱線してしまうが、

最近、自分のやりたいことは何なんだろうと考えたりしていた。

フットワークが比較的軽い私ではあるが、やりたいことがたくさん出てくるタイプではなく、結構興味の範囲は狭い。

その時は何もでてこず、私はあんまりやりたいことがないのだろう、と結論付けていた。

ウォータースライダーだって、やりたいと思ったことなんて、あまりないというか今までないかもしれない。

でも、本当は、ウォータースライダーだってやりたかったし、やりたいことはたくさんあるのに、「そんなことできるわけがない」と無意識的にあきらめてしまっているんだろうか。

環境的なこと、年齢的なこと、状況的なこと、経済的なこと、色んなしがらみを取っ払ったら、失ってしまった興味が返ってくるだろうか。

そして、取っ払うことなんて不可能であるけれど、夢で見せるくらい、自分自身は潜在的に『感じている欲求・願望』があるのだろうか。

考えてみたって、何も浮かびはしないけれど、実際にそれらをを考えてみると、夢を見たという事象だけでも、自分自身の内面を探るきっかけになっていて、なんか救われる気持ちになる。

夢ではウォータースライダーだったけれど、実際やりたい何かがあって、実現しないもどかしさを無意識的に感じているのかもしれない。

「謝れ!」という、なんとも言えない思春期のもどかしさを、今もまだ昇華できず、ひきづっている自分がいるのかもしれない。

年齢を重ねるにつれて、「物事をあきらめる癖」がついてきているのは、なんとなくわかっていた。

私だけではなく、多くの年を重ねた方はそうなんだろうと思う。

それは、生きるために仕方ないものだし、それ自体が悪いものだなんて思わない。

けれど、夢は、その癖によって本来あったであろう自分を喜ばせる喜びごと(願望)を思い出して、と言っているような気がした。

実際できるかどうかはおいておいて、自分の願望を知るのは必要かも、と思ったりする。

まあ、たかが夢、かもしれないかもしれないけれどね。

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