色んな感情があるのに、言葉を飲み込みすぎてうまく出てこないし、出していい言葉がわかんなくなってて来た今日この頃。
自分が我慢すればいい、は自殺行為。
自滅の将来しかない。
わかっているけど、どうしたらいいんだろうと、この年になってもわからない。
自分を大切にする方法がわからないのに似ている気がする。
自分をないがしろにする他人に、いい顔する必要はない。
だけれど、そんな他人にすらいい顔しないと、自分を肯定できないんだと思う。
自分が自分を大切にする方法を知っていたら、きっと、「出さなければいけない言葉」はわかるはずだもの。
私は嫌な他人への嫌な感情を保存しておきたくないから、今までずっと「ないもの」としてきた。
だけど、それが自分が自分をないがしろにする原因になっている。
私は大切にされていいし、幸せになっていい。
なんで、大切にされてはいけない?幸せになってはいけない?
他人から大切にされないなら、それはそれでいい、自分が大切にすればそれでいい。
生きる権利なんて、他人に保証されなくたって、自分が持っていればそれでいい。
言葉を飲み込んできたのは、なにかしらの原因やキッカケがあったのだろう。
言葉で、他人を傷つけてしまったことがあったからかもしれない。
他人の顔色うかがって、出していい言葉がわからなくなってしまったのかもしれない。
けど、そんな原因もうどうでもいい。
言葉を飲み込んだのは、私自身の優しさなのかもしれないけれど、結局は他人との関わりを拒んでいることにならないか。
自分が我慢してればいいんでしょ、と他人に傲慢になっているようなものだ。
そうじゃない、と思う。けれど、結果そうなっているんだ。
自分のことも大事にできないし、他人との対話も拒んでいる。
言葉を飲み込むことは、何もいいことなんてない。
言いたいことを無配慮に言え、ということではないけれど、言わないといけないことやその場に必要な言葉は、苦しくても自分が悪のように見えても、きっと言うべきだと思う。
…なんて自分に言い聞かせる。
他人に嫌われるのが怖い、なんてこともあるかもしれない。
結局優しいんよね。
でも、人の成分は優しいだけではやっていけない。
なんか自分にとっては悪のように見えることも、やってかなきゃいけない。
他人を大事にする前に、自分を大事にしていかなきゃいけないから。
他人に自分を脅かされる前に、自分で自分を守っていかなきゃいけない。
急には出来ないかもしれないし、難しいことかもしれないけれど、自分も他人も大切に思う気持ちはきっと共存できるはずだから。
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