私だって。

雑談

最近気づいたことなのだが、私には口癖があるっぽい。

いや、心の中での話なのだが。

何かを考えているときに、ふと、思ってしまう(心の中で言ってしまう)言葉がある。

それが『私だって』だ。

でも、そこまで思ったんなら、その続きがでてくるはずだが、不思議なことに、いつも『私だって』の後は出てこないのだ。

私だって、○○したい、とか。

私だって、○○でありたい、とか。

心の中だし、思ってもなんら問題はない。

けれど、いつも『私だって』で止まってしまうのだ。

その先の欲求の方が大事な部分なのに、いつもでてこない。

それに気づいたときに、

『私だって』どうしたいのだろうか。

どうして『私だって』で止まってしまうのか。

と、考えてみたことがある。

『私だって』というだけあって、誰かと比べているのは確か。

あと、自分自身に充足感を感じていないのだろう、ということもあるだろう。

でも、不思議なことに、自覚がないのだ。

いや、もしかして自覚がないのでないのではなく、”無意識下に気持ちを押し込んでいる”のではないかと思う。

どうやったら、『私だって』の先がわかるか、考えてみた。

まず、『私だって』と思ったタイミングを思い出してみる。

具体的な場面は、思い出せはしないのだが、何かうまくいかないと感じている場面で、思うことがあるような気がする。

そんな場面で、

『私だって』・・・何だったのだろう。

『私だって』、こうでありたかった、か

『私だって』、こうであるべきだったのに、か

現時点で、その先の明確な答えは見つかっていない。

でもきっと、私の心の中に、ぎゅっと押し込められた願望があるのだろう。

そんな、心の奥底にぎゅっと押し込められた願望を、どうやったら解放してあげられるだろうか。

解放してあげることが出来たら、きっと、もっと感情が豊かになるだろう。

具体的な方法論などは、全然思い浮かばないのだけど、

今度から、『私だって』と思ったら、心のなかで『私だってどうしたい?』と聞いてみようと思う。

私の中の、いわゆる”邪悪な感情”を全部ひっくるめて引っ張り出して、

『私だって○○したい、○○になりたい!』

と、答えを解放できるようにしよう。

心の中は、誰にも干渉されるものではないし、されるべきものではない。いつだって自由であるべきだと思う。

けれど、私は、こう思ってはいけない、こう考えてはいけない、というような感じで、自分にずっと感情の制御をかけていたんだろうと思う。

制御をかけすぎて、本当に大切な感情も、分別つかず、心の押し入れに押し込めていた。

そりゃ、心も虚無感を感じるはずだわ(笑)

ある意味、潔癖過ぎたんたんだろう。

”邪悪な感情”はあってはならない、と、忌み嫌っていたけれど、それは自分を豊かにするためには、とっても大事な感情だったんだ。

もっと、もっと自分が何かを思うことを許して、『私だって』の先が言えるようになれたらいいなと思う。

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