※写真を撮るのを忘れていたので写真はありません、ごめんなさい…
現在の仕事にも少し気持ちが慣れてきて、休日に遊びに行ける余裕ができたので、やっと美術展を観に行ってきた。
今回行ったのは、
久留米市美術館 『異端の奇才 ビアズリー展』
北九州市立美術館 『ポップ・アート 時代を変えた4人』
ビアズリー展は、東京で開催していたときから行きたいと思っていた美術展。
ポップアートの方は、久留米市美術館に行ったとき、美術館のトイレの前に貼られていた開催中のポスターを発見して、急遽行くことを決めた。
まあ、北九州市立美術館は好きな美術館の1つなので、それ抜きでも行きたかったのはある。
私は九州でも、南の方に住んでいるから、久留米も北九州も遠いのだが、美術展のためならどこへでも行く自分としては、行かない選択肢はない。
久留米市美術館は、石橋美術館だった時から通っている。
大きな道に面しているが、噴水を中心とした庭園をはさんでいるため、憩いの場所にもなっているように思う。
今回行った時も、天気が良いのも幸いとなって、庭園のバラなどの花々がキレイに咲きほころんで、キラキラしているように見えた。
久留米市美術館はそこまで大きい美術館ではないが、こういった庭園があったり、この美術館も文化センター内にあるとあって、来る方も多いように感じる。
本題のビアズリー展。
同じように挿絵画を多く残しているルドンを先に見ているからか、比べてみてしまうところは否めない。
いや、どっちかが劣っていると言いたい訳でなく、描き方とか、白と黒の割合の違いとか、やっぱりそれぞれ違うんだな、と、ある意味関心するように鑑賞していたように思う。
画家それぞれの背景が違うのだから、まあ当たり前っちゃあ当たり前なのだが。
ビアズリーは、なんとなく、イラストレーションのようにも感じるくらい、描き方は現代の漫画絵のように感じた。
キャプションでは、ジャパニズムが台頭してきた時代だったため、少なからずジャパニズムの影響を受けていたと思われる…のような感じであったけど、私はそのように感じなかった。
ある意味、執着のような執念のような細かい描写などは、ビアズリーのものでしかないと思った。
絵の話ではないけど、オスカーワイルドの作品『サロメ』の挿絵をビアズリーが描いていたけど、実はワイルドは満足しておらず揉めていた、という話があって、なんとなくビアズリーが不憫のように思えた。
久留米市美術館だけで帰ろうと思っていたのだが、前述したように、北九州市立美術館でも面白そうな美術展が開催中なのを発見して、足早に図録を購入して美術館を後にして、北九州市立美術館に向かった。
同じ福岡県内であるが、やはり久留米からも遠い。着いたときは、15時を回っていた。
実は、現代アートは苦手分野ではある。
でも、現代アートの創世期でもあるような、ウォーホルなどが台頭した時期の現代アートは、”わかりやすくて”観やすいと感じる。
美術展では、題してあるように、ポップアートを変えた、
・アンディ・ウォーホル
・ジャスパー・ジョーンズ
・ロバート・ラウシェンバーグ
・ロイ・リキテンシュタイン
を、主軸に展開されている。
名前では”?”でも、作品を観たら、「あーこの作品見たことある」となるアーティストばかりだ。
今の現代アートでも、時代に対するアーティスト自身の思いなどがあったりするが、「アートなのか?」と考えてしまうものがあると感じてしまう。
だが、ウォーホルたちのアートは、わかりやすく”アートである”ことを表しているように感じる。
わかりやすく=チープなどと言いたい訳でなく、逆で、安易な言い方になってしまうが、洗練されているように思う。
上記の4人以外にも、ロバート・インディアナ、ジェームズ・ローゼンクイスト、トム・ウェッセルマン、ジム・ダインの作品もあった。
ここまで来ると、さすがに私も疲れてしまっていた。
街を展望できるミュージアムカフェには寄らず、ここでも図録を購入して、美術館をあとにした。
疲れたとは言え、本当に美術展に来れたのは、心にとってはとてもよかった。
好きなものは、やはり、心の栄養になる。
そう強く感じた1日でした。
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