やめるって決めなきゃ、やめたことにはなってない。

今、目標達成ノートを自己流で作って、なるべく毎日書くようにしている。

正直、「継続すること」があまり得意ではないから、今まで、幾度となく物事を始めては中途半端にして置き去りにしてきた。

(このブログもそうなりかけていた・・・)

でもそういう自分が嫌だった。なんで続けらんないんだろうっていつも自己嫌悪だった。

なんでなんだろう、そう考えた。

よく飽きやすい人は三日坊主というが、私は三週間坊主が大概だ。三週間ほどすると、そのやっていることに飽きてしまって、長期的な目線になれず、ダイエットなら食欲などの短絡的な欲求に負けてしまう。

重要なのはその次で、

短絡的な欲求に負けてしまった自分が嫌になってしまい、再開する意欲を削ぐことで、中途半端にやめてしまうのだ。

それだ!そう思った。

ストイックな人は、毎日同じことをやれる力がある。でも、私のように飽きっぽく、気持ちの続かない人は、絶対、その短絡的欲求に負けてしまうときがある。その時に、自分を責めずに、「いや明日はまた再開しよう」と切り替えることが肝なのではと考えた。

でも、簡単にはいかない。

始めては欲求に負けて自己嫌悪でやめる、という回路が出来上がっているとこから、システムを変えなければいけない。

毎日とは言わないが、毎日のように続けられていることはないか、それを探した。日常生活で習慣化していることは、途中で何回かやらなくても自己嫌悪に陥らずに、再開できている、そう考えたからだ。

私は、「考えるトイレ」という名の、いわば雑記帳を書く癖があった。毎日のこともあれば、一週間あくこともある。それは今太いノートで二冊目。二年ほど続いているだろうか。

あえて、書く癖、とかいたが、それが書く”習慣”だとしたら、私にも書くのを中断しても自己嫌悪に陥らず、習慣化して継続しているものがあるじゃないか。

ならそれに倣ってみようと、目標達成ノートを作った。目標に到達するために、したこと、考えたこと、反省などを、毎日いや途中日が飛んでもいいから書くノート。いわば、”目標達成するための”考えるトイレ、だ。

大事なのは、目標のためにやったことじゃなく、書くことを主軸にすること。

ものをノートに書こうと思ったら、やはりノートが埋まらないと物足りない。そうすると、目標を達成するために何かをして、ノートに書こうとする。そうすると、自然と実践したことが増えるし、視覚的にわかりやすくなって反省もできる。

(自分が書くことが好きだから、苦痛にならないから、このパターンができるのであって、皆さんはもっと違った形で継続する方法があるのだろうとは思うのだけれど)

この目標達成ノートを作って、四か月。毎日じゃないが続けられている。

あと、どうやったら継続できるかということを考えていたときに思ったことは、

やめると決めてないなら、再開したらつづけたことになるのでは、ということ。

前述したとおり、一度欲求に負けてしまったら、自己嫌悪に陥り、もう再開できない続けられないような気分になっていた。いわば、その継続したい物事から、目を背けてあきらめていた。よく見れば、まだそこに、継続したい物事はあるのに。

人にはそれぞれ力量があって、もちろん毎日継続でき目標に向かっていける人はたくさんいるだろうと思う。でも、自分はその力量は持ち合わせてなかった。努力不足と言われればそこまでなのだが、目標に向けて何かしら継続させたいと思うことは誰しもある。

誰しもあるなら、継続の概念もそれぞれあっていいはずだ。

毎日実践したことのみが継続、と考える人はそう考えてもいい。

私はそれができないから、やめるって決めないうちは再開したら継続したことにする。

そうすると、自己嫌悪に陥っても、そこにある継続への道筋に目を向ける勇気が持てるのでは、と。

継続できないから自分は怠惰でどうしようもないとあきらめず、自分の力量を知り、自分に合った継続の仕方、もちろん継続の概念のもちあわせ方をもって、やっていければいいのかなと思う。

もちろん、目標に向けてみんな頑張るべきだー!なんてことは思っていないけど、目標ができて少し頑張る元気ができたので、こんなことを考える今日この頃でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました