なんでも好転するという思い込みをもつ大切さ。

雑談

年末に仕事の関係の忘年会が東京であったので、その日を含めて1泊2日で上京してきた。

700人規模で格式高い会館で行われたものだったので、しっかりドレスコードがあり、私もそれなりに準備して臨んだ。

何人か知り合いはいるが、ほぼ初対面の人たちばかりの中に入っていかなければいかない。

当たり前のように、緊張した。

みな同業者なので、色んな人と話をして、連絡先を交換してたりして、横のつながりを作りたかった。

会場には美味しそうな料理も並んでいる。

でも、それに夢中になっているわけにはいかない。

年を重ねてそれなりに人見知りは軽減している…と思っていたが、思った以上に声をかけていくことができない。

話しかけてもらっても、思考停止になってすすまない。

(なんか、こんな場所にきてしまって周りの人に申し訳ない…)

なんて被害妄想まで出てくる始末だ。

そんな私の思いと反して、忘年会はクイズ大会やビンゴ大会などで、かなり盛り上がっていた。

しょうがない、こんな私だもの、と自分を擁護しているうちに閉会になった。

知り合いの人と待ち合わせをしていると、

「これから会場で知り合った人たちとお茶に行こうと思っているんだけど、一緒に行く?」

とその知り合いからLINE。

これは不甲斐ない状況を挽回できるチャンス!とばかりに二つ返事でOKした。

知り合いと初対面の何人かと合流して駅まで向かう。その道中お茶できる場所を探すが、時間帯もだし年末ということもあって、お店がない。

ある1人が、

「明日作業会をカフェでするけど、みんなで集まらない?」と。

私は明日帰るけれど、飛行機の時間が18時台だから、十分に時間はある。

即OKした。

その日の寝る前まで、いや寝てから夢の中でも、不甲斐ない自分を責めていた。

作業会の誘いに乗った自分を全力でグッジョブすることになるとは知らずに。

次の日、知り合いの人と駅で待ち合わせして、作業会をするというカフェへ向かう。

話を聞いていた当初は集まっても6人くらいだったが、最終的に同業者12人くらい集まった。

(詳しくいえば、途中で抜けたり途中で合流したりしたのだが、そのうち知り合いも新幹線の時間の関係で途中で抜けた)

作業会は途中場所をかえたが、盛り上がりに盛り上がった。

女子会(2人男性はいたが)のようなものじゃない。

和気あいあいとしながらも、当然同業者同士の作業会なので、がっつり仕事の話。

私はまだペーペーなので、話についていけないところもあったが、勉強になることばかりで、10時前に開始してから4時間くらいから、頭がパンクしそうなほどだった。

びっくりした?

そう、作業会10時前から16時過ぎまでやってたの。

でも、飛行機の時間ギリギリまでやった。楽しかったし、勉強になりすぎて、帰りたくなかった。

もちろん、横のつながりもバッチリできた。

友達になるわけではない(そもそも求めてない)けど、相談ができたりやアドバイスをもらえたりする関係ができるのは大きい。

この作業会に参加したからといって、昨日の不甲斐なさが消えるわけではない。
けれど、行動しようとさえすればこういった《ラッキー》が待っている。

それは思い込みかもしれない。

ただの偶然の《ラッキー》だったのかもしれない。

でも私は、きっと何事も行動しようとすれば好転するんだ、ということを思い知らされた気がした。

何かが得られるから…と考える前に、

「きっと何事も好転していくから安心して行動してみる」

ということを思い込んでやってみよう、なんて、考えたりした。

明日から新たな年が始まる。

どういった年になるかなんてわからない。

でも、きっと悪くはならない。

そう思い込んでやってみよう。

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