私は幸いにも、命を脅かされるような状況に遭ったことがなく、比較的平穏に過ごしてきた。
それは本当にありがたいことだ。
でも、時折、「これでいいのか」と思うことがある。
何故なら、自分は「神様に甘やかされているのでは」と思うのだ。
すごく、スピリチュアルな話になってしまって申し訳ない。
でも、なんだかそう思ってしまう。
ひいきをされているのではなく、あくまで、「こいつの人生はこんなもんだろう」という神様からの甘やかし。
自分はどんな状況でも乗り越えられる!と自分を過信している訳ではないのだが、なんだか神様に諦められているように感じてしまうのだ。
「そこまで考えなくても…」とも、心の中のもう一人の自分は思う。
自分の人生ラッキーだったと思えばいい、そう思う。
でもなんだか、世の中の悲しい状況を知れば知るほど、私はこれでいいのか、と考えてしまうのだ。
もちろん、自分はラッキーで、恵まれていることに感謝もある。
何も、誰に引け目や責任感を感じる必要はない。
そんな時、ふと思った。
これが、良心なのかもと。
いや、自分に良心があるから偉いんだ、と言いたいわけではない。
私も持っているこの感情は、誰しも持っていて、環境や状況の不平等さに違和感を感じている。
この不平等さを感じることが出来るのなら、何かしら行動をしてほしい、という神様からの願いなのではないか。
なんて、思ったりする。
私、一人の力なんてたかが知れている。
でも、みんな何かしらそう思っているのなら、何かできるのではと思ったりするのだ。
おこがましいだろうか。
図々しいだろうか。
でも、そんなことを思わざるを得ない、状況の人々がたくさんいることを考えると、歯がゆいながら、そう思う。
よく、そんなことを発信したりすると、「偽善」と言われる場面を見る。
私は、やらない「善」より、やる「偽善」の方がいいと思っている。
でもきっと、私のこのブログは”やらない「善」”だ。
「善」を語っていても、結局は何も行動できていない。
できるのは、そんなことを考えつつ、なんてことないような今日みたいな日常を、大切に過ごすことだけだ。
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