どうでもいい、たわいもない話。

雑談

現在、九州国立博物館で開催しているはにわ展に、2度行こうとして、不運に遭い、行くことが出来ていない状況に見舞われている。

災難、と思うと同時に、

「はにわ展に行くなってことかよ~」なんて思って、それをXに呟いたら、

鹿のはにわのアイコンの方に、「機会があったら、いつでもおいで~」と返信をもらった。

それで、ほっこりするなりしたなんてことがあったんだけど、

でもこのことで、私、悪い癖持ってんなってことに気が付いた。

タイミングが合わないからって、それ自体を”それらに拒否されているから”と思ってしまう悪い癖。

そう思うことによって都合のいいことがあって、

たとえば、それらを諦めることが簡単になること。

それら(ものごと)に拒否されているなら仕方のないこと、と思っておけば、なんとなく自分のせいではないし、ある意味納得できるから。

でも、それはよく考えると、それらにはいい迷惑でしかないんだよね。

自分はそんなこと思ってないのに、自分が悪いように言われて納得されるわけで。

私は、このこと以外にも、様々な場面で、こういった悪い癖を発揮してきたと思う。

自分自身を納得させるための、仕方のない言い訳だったのかもしれないんだけど、よくよく考えると、よくわかんない理屈なんだよね。

だって、実際はそれらに拒否されているわけではないのに、ただ単純にタイミングが合わなかっただけのことで、それらに拒否されている前提で考えているんだもの。

あえて、拒否されに行っている、といっても過言じゃない。

そんなことを思ったりすると、なんかバカみたいな悪い癖だったんだなって思う。

ものごとはもっとおおらかで、寛容だと思う。

タイミングが合わなかったからと言って、そのものごとが間違っている、自分に合っていなかった、と一概には言えない気がする。

確かに、確実にそれらが自分に合うのかはわからない。

本当にそれらが自分に合っていないからタイミングが合わないのかもしれない。

でも、すべてがそうではないこともあるはずだと思う。

私の悪い癖のような考え方は、諦める材料にはいいかもしれない。

けれど、本来はそうでなく、単純にタイミングが合っていなかっただけだとすると、そのものごとと出会う・体験する機会を、自分で奪っていることにはなりやしないか、と思う。

自然の摂理とか、森羅万象をつかさどる何者かの導きとか、そういう考えも否定はしないが、そういうものにこだわりすぎず、もっと人間は自分の思うように動いていいように思ったりする。

タイミングが合わなかったからなんなんだ!、タイミングなら合わせに行ってやるよ!くらいの勢いを持ってもいいよな、なんて思ったりもする。


タイミングの話でいったら、結婚とかって、タイミングとか大事って話をよく聞く。

タイミングが合わないってことは、その人とはよくないってことだよ、なんて言ってたりもする。

私も、このことを考えるまでそう思ってた。

でも、このことを考えていたら、

え、待てよ?結婚とかってそうやって諦められるくらいのものごとなの?って思って。

確かに、何らかの導きみたいなのがあってタイミングが合ってないのかもしれなくて、本当にその結婚生活は破綻する運命が待っているのかもしれない。

けど、結婚とかっていう大切なことを、そう感じるからあきらめようなんて思うくらいの熱量だったんなら、それはタイミングが合わなかったから関係が破綻するのではなく、お互いがきちんとタイミングを合わせにいってないくらいの熱量だったからなんじゃないかって思うよね。

”導き”みたいなあいまいなもののせいにするのは簡単だけれど、それにあえて抗ってみる愚かさみたいなものもきっと必要だよね。

すべて成功に導けるわけないんだからさ、なんか、そういうの言い訳にしてたらいけないよね、なんて自戒のように考えたりする。


鹿のはにわのアイコンの方が「いつでもおいで~」といってくれたんだから、今度はいけるといいな。

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