私は基本的にネガティブであるとは思うが、なんとなく持ち合わせている楽観性が少しいい役割を果たして、最終的には前を向くことが出来ているように思う。
そんななんかよくわからない複雑な前向きさに、今は助けられているように感じる。
けれど、やっぱり、ずっと前向きでいるのは疲れるんだろう。突如、すべてを投げ出したい気持ちが湧き上がる。
それを思うと、「やっぱ自分はなんらかの形で無理をしているんだろうな」と自覚する。
無理をしているということは、自分らしくないんだろうと思うし、思考の過程のどこかで、無理やりな修正をかけているのだと思う。
前向きでいることって、生きるときに大きな力になるのは実感しているし、それを否定したりはしない。
けど、みんながみんな前向きな人ばかりではないし、実際自分自身も根はネガティブであるわけで、前向きにいようとすれば、どうしても無理をしてしまうというようなことは起こると思う。
だからというわけではないが、自分にもある前向き至上主義的なものに対しては、少し疑問があるし、多少の後ろ向きや、前向きになれない感情も否定しないようにしたいとも思う。
前述したように、最終的には前向きでいるほうが、悩みは解決されやすいし、生きやすいのは確か。
でも、後ろ向きな感情とか性質を、むりやり前向きにしたって歪みが起こるのは明らかで、後からつらくなるようなこともある。
じゃあ、どうしたらいいんだ!ってなる。
私もまだ完全にこうしたらいい!なんて答えはないけど、今思うのは、
「自分が思いたいように思う」ということ。
自分が思うこと、感じたことを、まずは素直に受け止めることなのかなと思う。
後ろ向きがダメ!前向きでなきゃ!なんてことを考えずに、後ろ向きな感情がある自分をまず受け止める。
それから、どうするかも自然に任せる。
後ろ向きな感情のままでも、それはそれでいいし、自然に気分が転じて前向きになったっていい。
これを言ってしまうと、社会に出ている方の「そのままじゃダメな時もあるんだよ」という嘆きが聞こえてきそうだ。
社会や対人関係でいえば、そうも言ってられないこともあるから。
そういうことがあるから、難しいところではあると思うが、そういうときの努力は最小限でいいと思ったりする。
心をむりやり修正をかけるというようなことはしないで構わないと思う。
他人や職場などは、自分自身の人生の責任を負ってくれるわけではないのに、それらに対して自分が苦しくなるというようなことは、ほんの少しの部分だけでいい。
社会の、前向きでなければ成長もない!というような空気は感じるし、そうでないといけないんだ…なんて気持ちにもなるけど、そもそも社会が発展するのは後ろ向きな感情が大きく貢献していると思うし、前向きでなければ!なんてことは絶対にないはず。
自分の感情や性質は自分のものだ。
まず「自分が思いたいように思う」、そして、それからこうしていこうということは考えればいいし、考えなくてもいいなら考えなくていい。
心はもっと自由でいいと思うから。
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